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tabaccosen

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○山本七平

○『日本人と中国人』(なぜ、あの国とまともにつきあえないのか [ criticism ・(批評) critic・(批評家 ]
○『日本人と中国人』(なぜ、あの国とまともにつきあえないのか)
山本七平著・祥伝社刊・平成17年2月-5月10日?第6刷発行
初出は、「日中国交回復」後の、昭和47年(1972)~49年(1974)
にかけて、『文藝春愁』に断続的に連載されたもの。という。今回、
「単行本」化された。952E.
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以前から、「山本七平・本」は、そのリストを眺めながら、読まな
ければならないものとしてある。いくつかの書物に目を通すなかで、
<日本教(学)>に、真摯に取り組み、その成果の多大なるものを痛切
に感じていた。○今回のこの「本」は、4月の「中国のデモ」など
の混乱のさなか、多数の読み手が集中しているように見える。○サ
スガだ。<日本人の感情性>を批判的ながら、学閥や、アカデミズム
のもつ弊害を回避しつつ、事象の本質に迫ろうとする姿勢がある。
○特に、<その時、その場>の支配する「世論」や、「常識」を、ベ
ースに「論理を、流れを再構築」することに徹している。一夜の通
読では、「検証レベル」するまでになってないが、<鉈で表皮をなで
、臓腑を抉る>迫力がある。しかしそれは、平田篤胤のアジテーショ
ンではない。<冷静に時代の空気>を読むことを念頭に置いている。
背景としてのそれを感じるときに、山本の該博と熟慮を知る。○山
本七平は、武器を持つ。
(1)聖書学、(2)支那学[論語など]そして、(3)軍隊の、捕虜の体験だ。
これら以上に多種のものを挙げるのは必要以上の混乱を招くだろう。
これらの武器は、<比較文化論>という視点になっている。ここに、自
分の立場、視点、思考を明確化することも忘れていない。○これが、
「現在」では常識だが、かつてはそうではなかった。個々人の思考の
立脚点を顕わにするのは、それほど容易なことではない。「本質」を
言うとき、触れるときに、それは回避できない。<語られていないも
の>を、読むのも読者の想像力なのかも知れないが。○江戸末期の、
「儒学」の衰退などに、山本の<姿勢>と対置することでそれが、輪郭
をつくる。硬直したレベルの学徒の批判は略す。○「尊皇思想」「尊
中国思想」も、結局は同じなのだとするのは、卓見というか、洞察と
言うべきか。<非・論理の思想><問答無用>などの「悪しき伝統」が、
全体責任と同様に、無責任論を構築する。<本質的には、なにも変わっ
ていない>。そのことを自覚することから、はじめても遅くはない。
(中)
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